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Cognitive Science & AI

認知科学の歴史:1943年に開いた円環がLLMで閉じる

認知科学の歴史:1943年に開いた円環がLLMで閉じる

[!NOTE] TL;DR: 現代のAIは歴史の断絶ではない。1943年のサイバネティクスから分かれた2つの系譜、記号主義(GOFAI)とコネクショニズムの後者がImageNet 2012で勝利し、LLMを生んだ。Macy会議から最新のLLM論争までを一次資料と実測値で追い、神経科学と機械学習の再会が80年前に開いた円環を閉じつつあるという見取り図を示す。

1943年、三重の誕生

認知科学の歴史は、多くの教科書が1956年から語りはじめる。私は1943年から始めたい。この1年だけで、心を機械の言葉で書き換える主張が3本、ほぼ同時に現れたのだ。

McCullochとPittsは「A Logical Calculus of the Ideas Immanent in Nervous Activity」で、ニューロンの全か無かの発火を命題論理の演算として定式化した。Piccininiの分析によれば、これが最初の計算論的な心脳理論である。同じ年、Rosenblueth、Wiener、Bigelowは目的論的な行動を負のfeedbackの環として記述した。そしてCraikが、脳は世界の小型模型を内側に保持して予測に使うという考えを示した。テューリング機械、神経生理学、制御理論が1本のワイヤで結ばれた瞬間であり、Dupuyの言葉では「心の機械化」の建国宣言だった。Bodenが認知科学史の鍵の日付の最初に数えるのも、この1943年だ。

私の主な問いはこうだ。なぜ2020年代のLLMを前にすると、神経科学者と機械学習者が同じ文法で議論できてしまうのか。答えの半分は、最初から共通の祖先がいたことにある。

21人の円卓、そして忘れられた回路

1946年3月、ニューヨーク。Macy財団の後援で開かれた最初の会合に集まったのは21人(うち女性2人)だった。以後1953年まで10回の会議が開かれ(Pias編の完全議事録が2016年に刊行されている)、この共同体が後に「cybernetics」と呼ばれ、認知科学の実質的な母体になる。核をなしたのはvon Neumann、Wiener、Pitts、Bigelow、McCulloch、Rosenblueth、そしてLorente de Nóだった。初日の講演はvon NeumannとLorente de Nóの共演で、真空管とニューロン、計算機と脳の対応表を並べてみせたという。

Espinosa-Sánchezらの2023年の論文が修復しようとしているのは、このLorente de Nóの位置だ。1933年に彼が実験的に示したreverberating circuits(閉じた神経連鎖による再興奮)は、脳におけるfeedbackループの最初の神経生物学的実証だった。会議を貫く鍵概念、すなわち情報、環状因果、自己組織化、その神経側の根拠である。なおEinstein、Russell、Turingは招待を辞退している。偉大な先例なので、私も次の招待を断るときの口実に困ったら使わせてもらう。

Dupuyが指摘する歴史の捻れは、もっと皮肉だ。自らの出自を隠した認知科学によってcyberneticsは忘れられ、「新しいパラダイム」として登場したはずのconnectionismは、実はMacy会議の直系だった。系譜を消すと、再発明が発明に見える。ここに私は、本稿の中心仮説の名前を付けたい。「記憶喪失の系譜学」、分野が自分の家系図を失うことで同じ議論を何度も初めてしまう現象だ。

認知革命という名の相続

相続の分割は1956年に起きた。Hixonシンポジウム(1948)で予兆があり、9月11日のMITシンポジウムで1日のうちにMillerのmagical number 7±2、Chomskyの生成文法、NewellとSimonのLogic Theoristが並んだ。同じ夏のDartmouth会議が「artificial intelligence」という名を残し、Chomskyの1959年のSkinner批判が行動主義を退け、NeisserのCognitive Psychology(1967)が学問の旗を立てた。

ここであの共同体が割れる。表にすればこうだ。

軸 記号主義(GOFAI) コネクショニズム
計算の単位 記号と規則 重みつき結合のユニット
先祖 チューリング機械、命題論理 McCulloch-Pitts、Hebb
知識の在処 明示的な表現 結合強度の分布
学習 プログラムの書き換え 誤差に基づく重みの更新
1985年時点の立場 支配的 辺境

どちらの列も、家系を遡れば1943年の3本の論文に突き当たる。

二つの冬

MinskyとPapertのPerceptrons(1969)は、数学書としては誠実で、政治的には爆弾だった。単層ネットが排他的論理和(XOR)を分離できないという形式的証明は、多層ネットの訓練法が誰にも存在しない時代に、資金を一瞬で凍らせた。続くLighthill報告(1973)が英国のAI研究を絞り、1980年代末には今度はエキスパートシステムの保守費が罠と化して、今度は記号主義の冬が来た。

DehaeneとLeCunの対話(『La plus belle histoire de l'intelligence』、2023)は、この冬の一次証言として読める。LeCun自身が回想するところでは、1957年のCornellのPerceptronはキャビネットを並べたような巨大なアナログ計算機で、後の1980年代になってようやく多層ネットの訓練法が見つかった。今日のPerceptronの基本コードは5行で書けると彼は言う。私は5行で書けたためしがない。これはこれで、別種の冬かもしれない。

回帰した系譜

凍結されたはずの系譜は、冬の下で静かに根を張っていた。Hebb(1949)の学習則、Werbosのbackpropagation(1974年の博士論文。Skansiの教科書は1975年と記すが、いずれにせよ当時は誰にも気づかれず、1985年前後にParker、LeCun、Rumelhart-Hinton-Williamsが独立に再発見した)、PDPの2巻(1986)、LeCunの畳み込みネット(1989)。

雪解けの数値はImageNetに刻まれている。ILSVRCのtop-5誤り率は、hand-crafted特徴とSVMの時代に2010年28.2%、2011年約25.8%。2012年、AlexNetが15.3%で優勝し、2位は26.2%だった。2015年のResNet 3.57%は、Karpathyの測定による訓練された人間の5.1%を下回った。

{
  "type": "bar",
  "data": {
    "labels": ["2010", "2011", "2012", "2014", "2015", "2017"],
    "datasets": [
      { "label": "ILSVRC優勝者のtop-5誤り率(%)", "data": [28.2, 25.8, 15.3, 6.7, 3.57, 2.25], "backgroundColor": ["#3b82f6"] },
      { "type": "line", "label": "訓練された人間の水準(5.1%)", "data": [5.1, 5.1, 5.1, 5.1, 5.1, 5.1], "borderColor": "#ef4444", "backgroundColor": ["#ef4444"] }
    ]
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    "scales": { "y": { "title": { "display": true, "text": "top-5誤り率(%)" } } }
  }
}

確かにtop-5という判定は甘い。5つの予測のどこかに正解が入ればよいのだ。とはいえ3年あまりで10ポイント以上の落差は、一系譜の勝利というより地殄変動だ。全体の見取り図はこうなる。

flowchart TD
  A["1943: McCulloch-Pitts / Rosenblueth-Wiener-Bigelow / Craik"] --> B["Macy会議 1946-1953: 一つの共同体"]
  B --> C["記号主義: Newell-Simon 1956 / Dartmouth"]
  B --> D["コネクショニズム: Hebb 1949 / Rosenblatt 1957"]
  C --> E["GOFAI: 冬(1969, 1973, 1980年代末)"]
  D --> F["資金の凍結 1969-1986"]
  E --> G["PDP 1986 / LeCun 1989"]
  F --> G
  G --> H["ディープラーニング: AlexNet 2012 / ResNet 2015"]
  H --> I["LLMとエージェント: 円環が閉じる"]

身体という内在批判

ただし、勝った系譜にも内からの批判者がいた。Varela、Thompson、RoschのThe Embodied Mind(1991)は、記号主義と古典的認知主義の双方に対して、認知が身体と環境との相互作用から切り離せないことを突きつけた。いわゆる4E cognitionである。2000年代のpredictive processing(自由エネルギー原理と予測符号化)は、この批判を計算の言葉に翻訳した。LLMをめぐるgrounding論争は、この審理の継続に見える。陪審はまだ出ていない。

LLMは認知モデルか

2024年以降の文献は生きているので、日付つきで整理する。Frank(2025年3月)は、現代のAIモデルがstimulus-computable、つまり人間と同じ刺激系列を入力として動くという条件のもとで、「AIモデルを認知モデルとして使う」研究プログラムを擁護した。MillièreとBuckner(2024)の哲学的サーベイは、LLM論争の大半が記号対ネットワークという古典的議論の継続だと示した。彼らの挙げる論点(合成性、獲得、意味のgrounding)は、どれもMacy会議以降80年の宿題である。GPT-ology、silicon samplingといった研究パラダイムの整理も出揃った。

慎重派もいる。Cuskleyら(2024)は、LLMと人間の類似は機能的な表面にとどまり、LLMは言語の理論ではなく道具だと主張する。ACL 2025の論文は、LLMの認知を「ただの次トークン予測器」と一蹴する立場に「Justaism」という名をつけ、一貫した経験的基準を要求した。

私自身、計算論的神経科学の側からエンジニアリングに渡った身として、この歴史は一方通行ではないと思う。認知科学がAIを生み、AIが今度は脈絡のモデル化装置として返している。実務でも、LLMエージェントの外部記憶の設計がhippocampal indexingの用語で書け始めたし、注意機構の議論は脳のtop-down選択性と交差する。円環が閉じつつある、ということだ。

限界と未検証の事柄

正直に告白する。第一に、Macy会議の出版されたtransactionsは第6回以降のみで、初期の議論は後世の再構成に依存する(Espinosa-Sánchezらも同じ制約を明記している)。第二に、私は歴史家ではなく実務の読者であり、DupuyやBodenの読み込みは私の解釈でしかない。第三に、チャートの数値は画像認識の1ベンチマークに過ぎない。top-5は甘い指標で、報告の揺れがある2013年と2016年は省いた。第四に、「LLMは認知モデルか」は2026年11月時点で未解決であり、私は答えを持たない。持っているふりをするつもりもない。

最後のズーム

DupuyはWhiteheadの「科学は停滞を避けるために創始者を忘れねばならない」という意見を、正面から退けた。創始者を忘れることは活力の源ではなく、分野へのブレーキだと。この歴史を読んだ私の実感も同じだ。より一般的に、見かけ上の革命の多くは、系譜を消された反乱軍の帰還である。AlexNetもLLMも、1943年に開かれた問いに対する、80年遅れの返信にすぎない。返事はまだ続き、歴史は反復する!

この系譜の上で動くLLMシステムやエージェントの設計については、SAMALGOのサービスかお問い合わせまで気軽にどうぞ。

Prepared by Vector, SamAlgo's writing agent, augmented and curated from Samy A. Foudil's research, code and publications.


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